旅(1)

  • 2015.05.01 Friday
  • 11:37

旅と旅行は違う。おそらく辞書的な意味としてはあまり違いはないのかもしれないが(旅の意味を調べると旅行と書いてある辞書もある)、今回の旅はあくまで旅だった。旅行ではない。これは私のイメージで使い分けているだけであるが、どこか共感してもらえるところがあるのではないでろうか。

今日からロカビリー先生の塾訪問記を書いていきたい。時間的には短くとも、非常に濃密な旅となった。

まず、ロカビリー先生の塾をこの時期に伺おうと思った理由はいくつかある。

まず、最大の理由。それはロカビリー先生が塾講師として最後の一年になるかもしれないからだ。つまり、今年は最後のチャンスである。これを逃すともう一生ロカビリー先生の塾を見学できないかもしれない。伝説のロカビリー塾を、ぜひとも一度見学したいという好奇心に背中を押された。

次に、急ではあるがこの時期に伺うことにした理由である。どれくらい急かというと、4月はじめに見学のお願いを申し入れ、具体的に日程を決めたのが4月中旬。そして伺うことになったのは4月末である。
急になって本当に恐縮だったのだが、これ以上遅くするのも申し訳なかった。なぜなら先生が担当されているのは中3の受験生。受験直前に見学に伺うのはさすがに避けたかった。


最後の年にお邪魔になるだけでも恐縮だったのに、ロカビリー先生は私にも授業をしませんかと提案した。

いや、とある塾講師ですよ、僕(笑)
猫ギター先生やkamiesu先生のように凄い先生じゃないですよ…

しかし、せっかくの、せっかくの機会。素直に自分の力を試したいと思った。わくわくしている自分がいた。


どんな塾でどんな先生なのかという好奇心と高揚感、
自分の力が通じるのかという期待と、
通じなかったらどうしようという怖さ、
そして感謝。

いろいろな感情を胸に夜行バスに乗った。

旅(2)

  • 2015.05.02 Saturday
  • 19:31

朝6:00に博多に到着した。夜行バスは嫌いではないのだが、今回は緊張もあってか全然眠れなかった。私の隣に座ったのはアメフト部に所属しているような体格のいい男の人だったが、この人はすやすや寝ていた。なぜあなたはそんなに寝れるのですか、と心の中で問うた。いびきでうるさい時は思わず鼻をつまんでやろうかと思った。(もちろん、そんなことはせずにiPodのイヤホンを深く自分の耳に入れた)


ロカビリー先生と合流するのは午後5時。ホテルのチェックインは午後3時。それまでの時間は体力を消耗しすぎないよう気をつけながらぶらぶらすることにした。
とりあえず福岡タワーが有名らしいので地下鉄で最寄駅まで移動。サザエさん発祥の地、サザエさん通りを歩く。

着いた。朝7時に。もちろんタワーは開いてない。登れない。

マクドで朝食をとり、LAWS○Nで買った携帯歯ブラシで歯を磨いた。福岡タワーを見ることができただけで満足したので移動することにした。路線バスで駅に移動する。

個人的に驚いたのは路線バスが高速道路を走ること。バスはETCをくぐるとぐんぐん速度と高度を上げていく。高速道路から見下ろして改めて福岡が港町であることを認識する。

駅に近めの有名なラーメン屋さんをネットで検索し、Go○gleマップを見ながら歩く。途中、逆方向に進んでいたがなんとか辿りついた。食べてからは電車で太宰府天満宮に向かい、自分の院試合格を祈願してホテルに向かった。

チェックインしてから時間があったので寝ようとしたのだが。



寝れない。


これで寝過ごしたら最悪だ。起きたら夜中だった、なんてシャレにならない。結局、シャワーを浴びて予習していたら合流の時間になった。

というわけでお待たせしましたが、次回はようやく塾見学に話が進みます。


旅(3)

  • 2015.05.03 Sunday
  • 16:58

さて、楽しみにしていた方(いらっしゃるのでしょうか?)お待たせしました。今回からようやく見学の話に入ります。



ロカビリー先生に迎えに来て頂くことになった。駅のロータリーで待っていると、携帯が鳴り、車がわかった。

ようやく、お会いできる。
車まで歩けば30秒ほどの距離だったが、自然と速足になる。お待たせしては申し訳ない、という気持ちもあったが、早くお会いしたい、という気持ちがあった。



ロカビリー先生のブログのファンの方々の先生のイメージは「怖い先生」なのかもしれない。

しかし、私の少ない経験から言うと怖い先生というのは暖かいことが多い。超簡単に言うと、怒りという感情が湧くということは他の感情も豊かである。そもそも怒りという感情が湧くということはそれだけ生徒に想いがあるということだ。(それを生徒に対してどれくらい表現するかは先生に依る)

例えば、代講で担当したその日限りの生徒に怒るだろうか。仮に宿題をやってこなかったとしても、簡単に注意するだけになるだろう。なぜなら責任がない、さらに愛着もないからだ。怒りというのは信頼していたのに裏切られるから湧き起こるものであり、そもそも信頼がなければ怒りなんて感情は湧かない。

電車の中ではしゃいでいる子供に対して怒鳴る大人がいるが、あれはイライラという感情をぶちまけているだけであり、後々その子供と何も関係しないから簡単に怒鳴ることができるだけだ。部下や上司に対しては、関係を壊すと面倒なことになるため何も言えない人もいるだろう。

まあ怒りの話はまたいずれ書こうと思う。




話を戻す。

つまり、私はロカビリー先生を人間愛に溢れている暖かい先生だろうと思っていた。そして車に乗り込んだ時、「ようこそいらっしゃいました」と笑顔で迎え入れていただいた先生を見て、やはり予想した通りだと思った。失礼かもしれないが、可愛い笑顔だ。

まず思ったのは、低音のいい声。猫ギター先生がブログに書かれていたが、塾講師として天性の声をお持ちだった。ずっと聞いていたくなる声。すっと頭に入ってくる声。

少し緊張しながら、同時にようやくお会いできたことにどこか安堵しながら、車は塾へ走り出した。

旅(4)

  • 2015.05.04 Monday
  • 00:23



塾へ向かう前に、ロカビリー先生オススメのラーメン屋さんに連れていただいた。
麺は細くも太くもないくらいで、スープはややこってりな豚骨。でも意外と重くなく、紅生姜を入れることで途中から味にも変化をつけることができ、あっさり完食した。とても美味しかった。食べている間もいろいろと話をした。

食べ終わってから塾へ向かった。ちょうど車を停めたくらいのときに、なんとロカビリー先生の携帯にkamiesu先生からの電話があった。先生の電話はいつも絶妙なタイミングでかかってくる。悪いタイミングで電話がかかってきたことがない。

「どうですか?みかみ先生は?」

「いや、想像通りの方ですよ」

という会話を聞いて、少し照れながら塾へ歩いて向かう。途中で私もkamiesu先生と喋った。
「大丈夫ですか?緊張で震えてませんか?笑」
kamiesu先生からの電話でだいぶ落ち着いた(笑)

そして、とうとう塾に到着。
スッキリとした外見。窓に大きく塾の名前が貼ってあったが、漢字と響きがかっこいい。

中に入ると正面に教室が見えた。教室は後ろから授業を見学できる形になっていて、壁には必要最低限の掲示物しか貼っておらず集中しやすい教室だ。壁と机との距離も十分とっており、授業中に掲示物に気をとられることもない。

廊下には耳を澄ませば聞こえるくらいの音量で、天井のスピーカーからクラシックが流れている。ロカビリー先生曰く、教室には聞こえるか聞こえないかくらいの絶妙な音量らしい。

一つの塾にしか勤めたことがない自分にとっては、どれも新鮮だった。

副塾長の先生ともお互いに自己紹介をして、早速数学の教材を貸していただいた。そうなのだ、ロカビリー先生のご厚意に甘えて数学の授業をさせていただくことになっている。単元は平方根の導入。生徒の状況を聞き、座席表を頂き、授業の組み立ての最終調整に入った。

次回は私の授業について書く。

旅(5)

  • 2015.05.04 Monday
  • 01:00

ようやくメインの話題に入ってきまして。ダラダラ書いたものをここまで辛抱強く読んでくださりありがとうございます。



さて。


授業開始時間5分前には生徒はみな着席して自習を始めているあたり、先生の指導のレベルの高さをひしひしと感じていた。

授業開始時間になり、まずはロカビリー先生が私の紹介をしてくださった。京都大学の大学生であること、4年間塾講師をしていたこと、腕は確かだからきちんと授業を聞くようにということ。
最後の「腕は確か」というところで思わず嬉しくなり笑みがこぼれる。と同時に、プレッシャーもかかった。もちろんいいプレッシャーだ。期待してますよ、とロカビリー先生に背中を押された気がした。


そして、私自身も自己紹介を少しして、とうとう授業が始まった。単元は平方根。私は導入として、ベタに単元名から攻めた。
「今日の単元は平方根という単元です。この単語の中で見覚えがあるものはありますか?」
生徒を指名すると
「平方です」
と答えた。すかさず
「どういう意味?」
と質問を重ねる。
「2乗、です」
「そう!だから今日は2乗に関連したことを習います。じゃあ、根って言葉、見覚えある?」
生徒を見渡すと首を傾げる生徒が多かった。
「だよね。根ってことは、根っこの意味だと思うけどこんな感じかなぁ(二股の根っこを描く)。ちなみに、理科で根っこと言えば二種類あるけど覚えてる?」
ここで再び質問。当てた生徒は難なくひげ根と主根側根を答えた。さすがだ。
正直ここでこの質問を挟むかどうかは少し悩んだ。話題があまりにもあっちこっちに飛ぶと生徒が疲れる。しかし、実力を見たいという気持ちと受験への意識付けという意味で入れることにした。
「じゃあ、数学の根の意味が気になると思うけど、これはあとでネタばらしするから頭の片隅に置いといてね」



ここまでで、わかる人にはロカビリー先生の塾の凄さがわかるはず。
目を輝かせる。
首を傾げる。
なるほど、という顔をする。
どれもよく出来る生徒がする行動。それをほとんどの生徒がしていた。こういうクラスは授業をする側も面白い。反応がいいということはそれだけ授業に集中しているという証拠だ。



それから平方根の説明、プラスマイナスを忘れないようにするという注意事項、2題ほど例を示し、ルートの登場、さらに2題ほど例を示した。この間、生徒たちは一切手を動かしていない。指示を出さなくても聞くときは聞く、写すときは写すという動作が徹底されている。

ここで私は数直線を上下に2本描いた。下の数直線に2と-2を書き込み、上の数直線に4を書き込む。そして、2と-2から4へ矢印を2本描く。

ここで
「どう、この形見たことない?」
と尋ねた。
「これと似てない?」
と最初に描いた二股の根っこの絵を描く。そう、矢印2本と根っこが同じ形というオチだ。

平方根でよくある間違いとして、プラスマイナスを書き忘れる、というのがある。それを防ぐために視覚的にも記憶に残そうとした。
さらにプラスマイナスを無機的な記号と捉える生徒がいる。あくまでプラスとマイナスをまとめて書いただけの記号だと認識させる狙いもあった。

そして板書を写させて問題演習に入った。ここで0の平方根に言及しておくのを忘れていたことに気づいた。机間巡視しながら、心の中でミスったなぁと呟いた。

授業開始から30分ほど経ったくらいでルートの大小比較の内容に入った"気がする"。というのも、授業は回り始めたがミスのせいで緊張は最高潮。正直、このあたりよく覚えていない。

その後、大小比較の話を図と絡めて説明。演習。ルートの近似値の話も大小比較の話と絡めて説明。そして演習。

予定していた時間を大幅に超えて、私の数学の授業はなんとか無事に終わったのだった。

実はそれを見越していたかのように、ロカビリー先生は授業前に「時間を気にせずにキリがいいところまでやってください」とおっしゃっていた。その言葉のおかげで私は救われた。


一気に進めてしまったので一度では消化できなかった生徒もいたが、自分が納得できないところは無理矢理納得しようとせずにとことん質問してくれた。

現実に、教え方が悪い先生に質問して理解できないと、無理矢理納得したフリをして強制終了する生徒はたまにいる。わかったフリをせずに初対面の私を信用して、何度も質問してくれるのは嬉しかった。

途中から私も落ち着きを取り戻し、生徒とうまく歯車が噛み合っている感覚があった。後半はいつも通りの授業ができた気がする。

私の授業のあとは少し休憩を挟んで、ロカビリー先生のダブル授業だった。2教室同時授業である。




旅(6)

  • 2015.05.05 Tuesday
  • 18:28

ロカビリー先生がダブル授業をするというのは知っていたのだが、非常に興味があった。1:2の個別指導もしていたのでイメージはなんとなくわかる。片方を演習させている間にもう片方に解説をする。交互に演習と解説を繰り返す。ただし、個別指導と違って先生が完全に目の前にいない時間があるとなると難しい。個別指導でできるから教室でできる、と言えるほど簡単なものではない。そして何より難しいのは「生徒の把握」だ。ダブル授業でなければ集団授業の先生というのは机間巡視を行っている。字のごとく、生徒のノートを覗き見回りながら生徒の理解度や癖を把握していく。その時間が十分に取れない中、どうやって把握するのかとても興味があった。

ロカビリー先生の授業が始まる。ひとつは中2数学、もうひとつは中3英語だ。
どちらかに指示を出すともう片方の教室に颯爽と移動して解説をする。教室でロカビリー先生の解説を改めて聞くと、やはり良い声だ。

英語は教科書を使った授業。ロカビリー先生が音読し、生徒がそれに続いて音読する。先生はとても発音がいい。噂には聞いていたのだが驚いた。ここまで発音がいい先生に直接習ったことがない。音読し終えると
「訳の整理」
と言って隣の教室へ移動。その間、生徒たちは黙々と日本語訳を頭の中で組み立てていた。


いや、カッコよすぎるでしょう!
いい声でこんな流暢に英文を音読されたら、私が女子生徒なら惚れていた(笑)


しかも発音がいいだけではなく、速い。ついていくのに必死だ。これは時間の制約があるダブル授業だからというのもあるかもしれないが、おそらくダブル授業でなくてもこのスピードなのだろう。

先生が戻ってくると、リスニング対策として生徒たちは教科書を伏せた。ロカビリー先生が先ほど音読した中から文をひとつピックアップして読む。もちろん、これも速い。私も授業を受けているつもりで聞いていたが、最初何を言っているのかわからなかった。

最近TOEFLを受験したからわかるが、やはり読むのと聞くのは違う。読めるからといって聞けるわけではない。リスニングは頭の中で瞬時に訳を作らなければならない。生徒たちも頭を動かしているのがわかる。

数学は文字式計算。累乗計算という定着しにくい難しい単元だ。例題を幾つか示し、生徒に演習の指示を与えていく。



説明の上手さ、立ち振る舞い、緊張感の作り方など、私から申し上げることは何もない素晴らしい授業だった。ただ、私にはない、すごいなあと思わずにはいられなかったポイントを幾つか紹介したい。



1.「時間管理」
ダブル授業なので片方の授業に時間をかけ過ぎるともう片方の授業が退屈ムードになる危険というのは常にある。そのため、ロカビリー先生の説明はとにかく短く簡潔だった。また、少しの時間のスキマ(たとえばノートに写す時間)を見つけては隣のクラスの机間巡視に向かった。しかも、めちゃくちゃ確認が速い。さーっと歩き、問題のある生徒の前でピタッと止まってアドバイスやヒントを出し、またさーっと歩いて解説のクラスに戻る。

授業中の発問というのは普通「発問→指名」という順番になる。なぜなら、全員に考えてほしいからだ。ただ、ロカビリー先生は授業前半では「発問→指名」だったが後半では「指名→発問」が多かった。なぜだろう。
ロカビリー先生のブログでは「既習事項の確認のときにする」と書かれていたのだが、おそらくそれだけではない。授業の前半も後半も既習事項だった。他に狙いがあるはず。

実は「指名→発問」にはメリットがある。それは授業の流れがスムーズになることだ(ワイドショーなんかでは「指名→発問」が基本だ。◯◯さん、このTPPって実際どうなんでしょう、という感じで)。また、授業の流れを考えたときにここはつまらずに答えてほしいと指導側が思う時はある。

つまり、ロカビリー先生が「指名→発問」したときの発問は、答えてほしいし時間をかけて欲しくない発問だと思う。

言いかえよう。

普通に「発問→指名」してしまうと、時間をかけ過ぎてしまうほど難しい質問だったのだ。

福岡から帰る新幹線の中で、発問レベルが後半になればなるほど上がったのを思い出してそう思った。授業全体の流れも常にあった。常に停滞することなく流れていた。
とにかく、ロカビリー先生の時間感覚は凄かった。


2.「負荷のかけ方」

英語のところでも述べたが、発問のレベルが高い。頭を使う。英語の文をロカビリー先生が音読し、生徒がその訳を答える場面。先生が「一語だけ単語を変えますね」と言った。たとえば、easierをmore difficultに。生徒は訳を丸暗記していては答えられなくなる。これはなかなか難しかった。こういう指導をする人が増えれば、きっと日本の英語教育も変わるのだと思う。


3.「説明の工夫」

「数学のかけ算はぐちゃ〜とまとめる感じで」と生徒に伝えられていた。私にはできない説明だが、理系の私も共感できる感覚だった。
難しいものを感覚的に伝えるのがお上手だった。この説明の上手さのおかげで、生徒は演習時もつまることなく演習できるのだろう。


以上が授業に関する、私なりの拙い感想だが、ロカビリー先生の素晴らしさはそれ以外のものが一番大きいと感じた。

実は、私の中3数学の授業が始まる前にある生徒の親から諸事情で塾を休みたいという電話があった。私は予習しながらずっと電話の中身を聞いていた。私なら「わかりました、休んでいいですよ」と言ってしまうだろう。しかし、ロカビリー先生はあくまで塾のためでもなく、親のためでもなく、あくまで本人のためにどうするのがベストなのかをその保護者に伝えていた。このとき、ロカビリー先生の凄さを一番感じたのだ。ロカビリー塾が素晴らしいのは授業の中身ではない。先生の人柄そのものなのだ。
怒ると怖いというロカビリー先生も年中怒っているわけではない(笑)。生徒たちも生き生きとしていた。ロカビリー先生への絶対の信頼感があった。


授業というのは商売道具だ。あまりに詳細に書きすぎるとロカビリー先生に迷惑がかかるかと思ったが、先生の人柄そのものが商売道具であるので、割と詳細に書くことにした。お許しください(笑)


次回で最終回にしようと思う。


2015/05/07追記
クラシックが流れる廊下からロカビリー先生の授業を見ていると、ふとロカビリー先生が指揮者に見える瞬間があった。マーカーはタクト(指揮棒)に、生徒は演奏者に。先生の一振り一振りで巧みに指示を出し、生徒全員が授業を作り上げていく。

これ、どなたかのブログで読ませていただいた気もするのですが、気のせいでしょうか?しかし、パクリではなく、本当にそう見えた一瞬でした。
 

旅(7)終

  • 2015.05.06 Wednesday
  • 01:54

旅1〜4の内容の薄さが今になって気になる(笑)

今回でこのシリーズを終わりにしようと思う。


授業が終わって生徒から数学の質問、私の中学生の頃の質問などが相次いだ。私はできる限り丁寧に対応した。質問にきちんと来れる子は伸びる。自分がわかっていないことをきちんと解決しようとしているからだ。本当に、皆いい子たちだった。
数学以外の質問に関しては、これはロカビリー先生のブログで面白く書かれているので是非読んでみてほしい(笑)

生徒が帰ってから、車で居酒屋に向かいご馳走になった。移動中や食事中、気になっていたこと、Twitterをして思っていることなど、いろいろと質問して困らせてしまった(笑)。
ずっとぶつけたかった質問が「怒る時の怒りは演じているのか、それとも沸き起こるのか」というもの。ロカビリー先生が怒ると本当に怖いらしい。その怖さはどこからくるのか知りたかった。ロカビリー先生は「沸き起こります」と答えた。

正直、私は怒るのが苦手だ。初めて生徒を叱ったとき、「今日は怒るぞ」と覚悟を決めて教室に入ったくらいだ。今でも、怒る時は多少演じる部分がある気がする。感情的ではなく、理性的に「これは生徒のために怒らなきゃ」と思ってスイッチを入れている感覚がどこかにある。ロカビリー先生は感情的に、本気で生徒に対し怒るのだ。それは怖いはずだ、本気の怒りなのだ。将来的に自分はそんな風に思えるのだろうか。


改めて自分でも不思議に思った。今はいったん辞めているが、なぜここまで塾講師を熱心にするのか。自分でもわからない。将来研究が楽しければその道に進むかもしれない。企業に就職するかもしれない。でも、塾講師の道もそれらと同等のレベルで悩んでいる。

福岡からGWを利用してそのまま実家に帰ったのだが、大学生の弟と少し議論になった。
人は何のために生きるのか。
弟はわからないと言った。
私は人のためと即答した。正確には、即答して’しまった’。弟にこんなこと言うなんて少し恥ずかしい(笑)
でも、本気でそう思っている。人は人のために生きてこそ人だと。塾講師は、それを生で実感できる職業のひとつだと思うのだ。

ロカビリー先生は来年以降、塾講師とは違う道に進まれるが、その道も自分のためではなく人のための道だ。凄いブログを書いているから、自分より年上だから、というわけではなく、一人の人として尊敬します。



ロカビリー先生。初対面の学生講師を暖かく迎えてくださり、しかも授業までさせていただき、ありがとうございました。学生に自塾の生徒の授業時間をあげるのは、少なからず不安や心配があったのではないかと思います。信じていただきありがとうございました。翌日も仕事があるにも関わらず、真夜中まで手厚いおもてなしをありがとうございました。温かい言葉をかけていただきありがとうございました。
本当に、ありがとうございました。

修行(1)

  • 2015.06.30 Tuesday
  • 23:06

6月、奈良にある「進学塾SORA」でスタッフとして週1回一か月だけ働かせていただいた。SORAとは上江洲先生が経営されている塾である。

 

なぜこういう話になったかというと、4月のある日上江洲先生から電話がかかってきたのが始まりだった。その電話の内容とは、「教育実習に行くSORAのスタッフがいるため、6月は人手が足りない。どうせ見学に来るならうちで一か月だけ働いてみませんか」というお誘いだった。もともとSORAには一度見学に伺ってみたかった。しかも働けるというのだ。見学に行くのと働きに行くのでは見える世界が違う。一か月という短期間であることもあり快諾した。

 

僕は学生講師が多い大手進学塾で4年間働いていた。どのくらい多いかというと、社員が2人に対して学生講師が20人ほどいた、と言えば想像しやすいだろうか。僕は学生講師の中では熱をもって働いていた部類であり、学生講師から社員と勘違いされるくらいだったが(あるある話だと思う)、中には冷めた学生講師もいた。もちろん熱意ある尊敬できる先輩もいたのだが、そういう先輩も年を経るごとに辞めていき、だんだんと教室の中で浮いてきているのを感じていた。なんでもっと真剣に働かないのか、なんで生徒の成績が上がらなくて悔しくないのか。他の学生講師に苛立つことも増えた。後輩を育成しようにも辞めていく。僕はだんだんと働くことに対してストレスを感じるようになった。

 

詳しいことはまたいつか書こう。何が言いたいかというと、こういう経験もあり僕は自分が学生講師であるにもかかわらず学生講師が多い塾が好きではなかった。少なくとも、熱意ある学生講師の数は少ないということを知っていた。(もちろん以前の勤務先には感謝している。)

 

そして今回、なんとSORAで働けるということになった。もちろん上江洲先生の授業も楽しみではあったが、あのSORAではいったいどんな学生講師が働いているのか、僕はそれが非常に楽しみでありわくわくしていた。一か月一緒に働くことで、いろいろ見えてくる部分もあるだろう。

 

 

これからしばらく、ゆっくりした更新頻度になるかもしれないがSORAで働いた日々をシリーズものとして書いていこうと思う。

修行(2)

  • 2015.07.05 Sunday
  • 04:23

初めてSORAに働きに行く1日目。阪急、JR、近鉄と、本を読みながら電車で揺られること2時間。最寄り駅からてくてく10分ほど歩き、SORAの建物が見えてきた。

 

緊張しながら職員室に入ると、上江洲先生にようこそと迎えていただいた。

 

職員室にちゃんと入るのは初めてだったのだが、いろんなものが置いてあった。神棚、高性能のコピー機、A4紙を一切りで切れる長いはさみ、教材、写真、パソコン、フィギュア(?)などなど。本は教材だけでなく、心理学系の本もある。とにかく物が多くわくわくした。おそらく設立当初は物が少なかったのかもしれない。一年一年、思い出が増えるたびに物が増えたのだろう。壁に貼ってある生徒の写真や色紙がそれを物語っていた。

 

一日目なので塾のルールやクラスの現状を確認した。ひとつ驚いたのはあまりルールがないということ。上江洲先生曰く、

「マニュアルを作ると先生同士の会話がなくなる」

とのことだった。

 

そう、これも驚いたことではあるがSORAの職員室では先生同士の会話が盛んだった。みな個人の作業に没頭するわけでもなく、楽しげに話している。何気ない雑談の時もあるし、生徒の課題を真剣に話すときもある。

 

何人かの先生で生徒を見る塾の場合、とにかく情報共有というのは大事だ。

「さっきの授業でこの子こうやったわ」

「じゃあ次の授業で注意して見とくわ」

こういう連携があるからこそ役割分担して生徒を育てることができるのであり、これができないと危険である。それが5分の休み時間、毎回行われているのだ。

 

たとえばの話だが、もし生徒情報はホワイトボードに書きましょう、なんてマニュアルにしてしまったら、会話も減るし情報は死ぬだろう。授業はこうやって行いましょう、なんてマニュアルにしてしまっても先輩と後輩の会話がなくなる。「マニュアル見といてね」で終わりである。後輩は分からないから聞かなければならないし、先輩はそれに答えなければならない。両方鍛えられる。もしかすると賛否両論あるかもしれないが、僕はいいシステムだと思う。将来的に不確実かもしれないが、どうせマニュアルなんて見ない。マニュアルの奥の深さがわかるころには、マニュアルは必要なくなっているのが世の常だ。上江州先生が現場にいる限りこれで大丈夫だと思う。

 

担当する授業は3コマ、1コマ60分。ちょうど中間テストが終わりかけの時期だったので、テスト前の生徒はテスト勉強、テストが終わった生徒は期末テストの過去問をさせて机間巡視という内容だった。ほのか先生というSORAでは研修中の学生講師(それでも十分しっかりしていて頼もしかった)の方と一緒に教室に入る。

 

最初に上江洲先生の右腕であるもりかわ先生に簡単に今日の内容を説明してもらい、そのあと僕が自己紹介するという流れになった。いつも担当している先生が教育実習ということ、これから短い期間だけどよろしくということ。挨拶もそこそこに僕は演習の指示を出した。演習中はほのか先生と一緒に机間巡視をする。この日はどの授業もその流れで進んだ。

 

生徒も緊張していたのか、あまり質問はなかった。まあテスト直前ということもあったし、学校によってはテスト直後という生徒もいたので緊張だけが原因ではないだろう。机間巡視をする中で、僕は生徒の勉強の仕方、ノートの取り方、丸の数などで生徒情報を手探りで集めた。

 

こうしてあっという間に授業が終わり、生徒が帰る時間になった。机間巡視の心地よい疲労感。このとき、僕は以前の勤務先をやめてから2か月経っており、ロカビリー先生の塾見学からも1か月ほど経っていたから久しぶりの机間巡視という感覚だった。

「さようならー」

と元気に声を出して去っていく生徒たち。塾の掃除をして、出席簿を返す。「どうでした?」と他の先生に聞かれ「この生徒とこの生徒、よく勉強できます?」と先ほど自らの目で集めた「生徒情報」を確認した。上江洲先生に「よく見てるねえ」と笑顔でほめていただいた。2か月で勘は鈍っていなかったらしい。(ベテランの先生なら一回授業しただけで生徒の偏差値まであてられる先生もいるくらいの世界なのだ)

 

そのあともりかわ先生と買い出しに向かい、他の先生方と一緒に上江洲先生の手料理をいただいた。ペペロンチーノの作り方を見ながら学び、トマトパスタや厚揚げ、そぼろ、豆腐丼?などなど、とにかくおいしい料理と高級なハイボールで楽しい夜を過ごした。

 

このとき話したのは

「研修よりこういう呑む時間の方が大事」

ということと

「管理しすぎると生徒は勉強しない」

ということ。この2つは覚えている。特に後者は、強烈に印象に残っている。(この「修行」の中で一番印象に残っていると言ってもいい。わかる人に共感していただければいい。深く語るのはやめておく)

 

1日目はこんな感じでお開きになり、上江洲先生と僕は塾で寝た(終電がないため毎週泊めさせていただくことになった)。1日目は上江洲先生や他の先生の授業を見るタイミングを逃したので、2日目の来週は見させていただくことになった。しかも来週はテストあけなので授業ができる。上江洲先生にアドバイスをいただける。僕は褒められた満足感と満腹感で幸せになって眠りについた。

 

 

修行(3)

  • 2015.07.10 Friday
  • 16:06
 
2日目。再び阪急、JR、近鉄と本を読みながら電車で揺られること2時間。15分ほど歩いてSORAに到着する。職員室に入り、神棚に礼をして(もりかわ先生に作法を教えていただいた)授業の準備をした。
 
今日は授業である。中1の数学は不等式と、もう1クラスの中1の数学は方程式の文章題、中2の数学は連立方程式の文章題だった。
 
その前日、上江洲先生にはツイッターで
「みかみ先生はせっかちな授業をしそうな気がします」
と呟かれていた。正直当たっている。否定できない。職員室でどうしてそう思われたのか理由を教えていただくと
「予習をキッチリして、ここまで終わらせたいと思う人でしょ?理系の人は特にそういう人が多いしね」
とのこと。僕はこの言葉の意味をあとで深く実感することになる。

 
授業時間になり、僕は中1の不等式の授業から入った。宿題に出していた過去問の解説を少ししたあと、授業の中身に入る。不等号とタイトルを書いた後、「そもそも等号ってなんだったっけ?」と質問し、イコールという答えを引き出してから不等号の説明をする。「以上、以下、未満」という代表的な大小関係を表す言葉を確認し、ついで不等号の読み方「小なり」「大なり」も説明。もちろん、この説明中にも質問/発問を繰り返している。「小なりイコール」と「大なりイコール」のところでは「そのまんまやんけ」と一人でツッコミ、軽く和ませてから(引かせてから?)演習に入った。机間巡視する中で定着していない生徒への質問対応、演習が終わった生徒の定着度合の確認と次の演習指示などを出す。時間になり、指定したところまで終わらなかった人は残りを宿題にした。授業の後半は演習だった分、時間管理も特に間違えることなく中1の授業は終わった。うむ、いい授業だったのではないだろうか。
 
次はもう1クラスの中1の授業。内容は方程式の文章題に初めて入るというところ。授業時間は前回の記事で60分と書いたが、その60分で「ケタと位の問題」まで行きたかった。これ、教えている方が見ると「けっこうハイペースなんじゃないか」と思われるかもしれない。70分あればここまでいけるが、60分だと正直時間が足りない。だが「テキストのページがちょうど終わる」「テストがない期間にできるだけ進んでおきたい」などの理由で欲張ることにした。一番理由として大きかったのは「迷惑を掛けられない」である。
 
こういう「導入授業」の「導入」というのはかなり慎重にいかなければならない。今回は初めて文章題を方程式で解く授業(方程式を解くこと、文章を式で表すことは前回までにやっている)なのだから、ここでつまずくと今後の文章題がすべて苦手になるかもしれない。
 
さあ、授業である。
 
まず始めに「ある数x3倍から8を引いたら13になった。ある数xを求めよ」という例題を出した。ここでいきなり「はい、では今日はこの問題を方程式で解きます」というのは少々乱暴だと思う。最初は「めっんどうなやり方でやってみるよ」といって「解1」と板書し、x=5のとき5×38=13が成り立つかどうか、x=6のとき6×38=13が成り立つかどうか、x=7のとき7×38=13成り立つか確かめた。するとx=7のときに式が成立するのでこれが答えだ。「解1」の意図としては、あくまで方程式は「代入して成り立つものを探す」というのを感じてほしかったからである。また後々方程式を立てるときにも役立つ。
 
「これってひとつひとつ代入していくから面倒だよね。今回はたまたま7だったから見つかったけど、もっと大きな数だったらめっちゃ時間がかかる。他にやり方はないかな」
 
と発問すると、生徒が「(13+8)÷3=7」と答えた。算数のやり方である。「いいねぇ!」と褒めてから「解2」とホワイトボードに書き、式を板書する。
 
「今まではこういうやり方で解いてきたと思うけど、これからは中学生の数学として解いてほしい。じゃあ、中学生風のやり方ってどんなのか分かる人?」
 
ここでは別に答えを求めていない。いったん「溜め」を作ることが目的だ(溜めを作るため)。
 
「実は…今まで方程式を練習してきたけど、それを使えばいいんだよ!わからない文字をxでおくよ。そしたらどんな式が成り立つ?」
 
ここで生徒を当てた。発問が少々乱暴なので「さっきのこれ(5×38=13などの式を指さしながら)と同じように、成り立つ式を作ってみて」とヒントを出す。ここでその生徒がたとえ答えられなくても、答えられるまでヒントを出し続ける。そうやってx×38=13という答えを生徒から引き出せたら、あとは方程式の復習を兼ねて軽く説明。これからは方程式で文章題を解いていくんだよ、とまとめた。ここまで板書を写す時間も合わせて15分ほど。このあと類題の演習。
 
この少々乱暴な発問。どこが乱暴なのかというと「生徒が何を答えていいのかわからない」というところだ。発問は“発問内容”を考えさせるべきで、発問が“何を問うているのか”を考えさせてしまうのは良くない。「どんな式が成り立つ?」と聞くよりは「□×38=13の□には何が当てはまる?」と問えば生徒はだいぶ答えやすくなる。だが今後「どんな式が成り立つ?」と先生に聞かれる機会は多いし、「どんな式が成り立つか」という思考回路で解いていくことになる。いわば“新種の質問”であるから、乱暴ではあるけれども登場させたかった。
 
演習の様子を見てもみんなよくできていた。よく聞けている。机間巡視の中で質問に答えながら出来具合を確認する。
 
さて、ここからやはり時間との勝負だった。「連続する3つの整数があってその和が48」という例題を出し、1番小さい数をxとおいて前で解説する。そのあと演習の指示を出し、演習が終わった人は「テキストと前の板書で違うところはないか探してみて」と指示を出す。テキストは真ん中の数をxとおいているからだ。このやり方のメリットは何か、再び発問。ちょうどこのあたりで上江洲先生が教室に入って1分ほど見ていた。
 
それが終われば「一の位の数と十の位の数の和が10となる…」という例題を出した。このとき、授業終了まで残り15分。ううむ、ここまで急ぎ気味で進んできたが、板書を写す時間も考えるとやはり厳しい。先ほどの整数の文章題の類題などの演習をさせればよかった。少々急ぎ足になりながらも、終了時刻ぴったりに授業が終わった。このとき、「みかみ先生はせっかちな授業をしそうな気がします」という言葉が僕の脳内を渦巻いていた。
 
授業が終わり、いったん職員室に戻ると上江洲先生がいたので「どうでしたか!?」とさっそく聞いた。
 
 
 
「切り替えが甘い。生徒に向けてしゃべっていない」
 
 
 
ズバッと斬られた。
 
 
 
 
つまり、板書しながら話したり、話しながら板書したり、そういう「今はどういう時間なのか」というのがはっきりしていなかった。
 
そして自分なりに考察したが、この原因はやはり時間管理能力の低さである。時間に追われているから書かせる時間をとる余裕、切り替える余裕、そういうのがおろそかになってしまったのだと思う。(もちろん、時間に余裕があるときでも切り替えられていなかった可能性もある)
 
中2の方程式の文章題の授業は軽く説明をしたあと、ほぼ演習時間だったので特に問題はなかったが、僕は立ち振る舞いに気を付けた。学年の違いもあるが、先ほどと違って僕の説明にうなずいている子が多い。先ほどの授業は、生徒にうなずく余裕を与えられていなかったのだと改めて痛感した。
 
授業が終わり、教室を閉めてから上江洲先生と居酒屋に向かう途中、「ああ〜!悔しいです!」と呟いた。先生に「別にいつも通りの授業ができていたんでしょう?笑」と聞かれた。
 
僕は上手に返事ができなかった。そう、“いつもの”僕の悪い癖を見抜かれただけなのだ。
 
その日のビールはおいしかったけど、苦かった。
 

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